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ヴァンホーの絵空事

vol.1「小野和則縁起物語」

高校の同期であった若山憲二が56年振りに帰郷(正しくは東京との二拠点生活)し、足守に住居兼ギャラリーを設けた。施工した玉木孝典君には終の棲家にする棺桶を造ってくれと注文した様だが、現在の状況は極私的美術館として機能しようとしている。柿落しに30年前のサロン・ド・ヴァンホーと同じく、小野和則展をすることになりました。
同時にWEBやユーチューブを新見に住む廣瀬高之君に立ち上げてもらうことになり、そのWEBに私が小野さんについて、寄稿することになりました。三人寄れば文殊の知恵という諺がありますが、大きく価値観の変動を迎えているこの時代に呼応して、ここから世界に向けて発信して行こうではないかとの機運が生まれ、「未来はデストピアにまっしぐらか?」という風潮に対して御歳84になる大家を担いで、78歳になる“光輝”高齢者(言いすぎか?)二人と現役バリバリのジャーナリストの挑戦の物語です。
閉塞感の漂う日本の社会に風穴を開け、少しでも希望が持てるビジョンを示せればとの思いで筆を取ります。

人間にも帰巣本能というものがあるとみえて、知らず知らずの内に支配されている様です。
何処かで生まれ、育ち、何かを何処かで摺り込まれ、アイデンティティ(帰属意識)なるものが形成される様ですが、この度は国宝の信貴山縁起絵巻に倣って物語を展開したいと思います。
信貴山縁起絵巻は、同じく国宝の高山寺の鳥獣人物戯画と並んで日本の漫画やアニメが世界から注目され、もてはやされているようなので、これに倣ってよりバージョンアップした物語を紡ぎたいと思います。
人生は縁で出来ており、思わぬ縁が思わぬ縁を呼んで、思わぬ展開をして、思わぬ所へ連れて行ってくれるという絵巻ものそのものの世界です。
世界の絵巻史上時間軸が取り込まれ、描かれているのは私の知る限り、日本の絵巻物の形式しかなく、そのDNAを引く漫画やアニメが世界で認められている原点はこの絵巻物の形式にあるとみています。

さて小野さんの美術の根底には「時間採集」という概念があり、私が驚愕し感動したのはこのことがきっかけでした。「植物採集」とか「昆虫採集」という実体のあるものの概念には既知の概念として私の引き出しに入ってはいたのですが、目に見えない時間を一体どう言った技法で採集するのかという素朴な疑問から興味を持った次第です。話を聞く程に「魂の解剖学」とか「その一点をソッと刺す」等の詩的な表現を纏って展開される小野ワールドのマジックにすっかり魅了され、文化の日を中心とした一週間を小野さんの展示会をするという企画が30年続いたという訳です。小野さんの作家活動を支えてくれた人への報告、発表の場としての役割は十分果たしてきた積もりですが、所詮ローカルの域を出ず、小野さんをもう一度世界の舞台に押し出すには何が必要で、何が不足か考えていたところに、若山が小野さんの絵が欲しいと言い出したものですから、突如小野さんが蛹から蝶になるヴィジョンが湧き、買ってくれるのは嬉しいけれど「もっと面白い手がある」と、小野さんに小野さんの美術館を建てるから協力してくれないかと言えといったら、今日のような状況になった訳です。現代美術家と称する人は掃いて捨てるほどいますが、過去の技法を土台に新しい概念や技法を生み出す能力を持ち、芸術の域まで高められる能力を持った人は数える程しかいないというのが現状です。誰でもノーベル賞がもらえるわけではないと同じことです。今の現代美術作家はコンセプト至上主義の人が大半で、百年の時間軸に耐えられる人はほとんどいません。私のようにデッサンやマチィエール、テクスチャーなど重視する人間は彼等から「ああ古いタイプの人ですね」と一蹴されてお終いです。
私の立場からしたら「イベントが終わったらゴミにしかならない物を作って、何がアートだ、芸術作品だ」ということになり、お互いフロアーが違うか、平行線なので喧嘩にもなりません。小野さんの作品は築200年の私の倉敷の民家でも、近未来を感じる足守のギャラリーでも、しっくりと馴染む懐の深さを持っています。
足守と倉敷の会場は15kmほど離れており、道中は吉備路を通ることになり、ちょっと関心を持って地表を一枚めくれば歴史の宝庫です点と点を結び線となり、せんと線が交差して面となり、こうした歴史を持つ土地柄に文化を再生し、今までの歴史に上書きできればの思いでいます。

戦後GHQの占領政策で見事に縦糸が斬られ、横糸だけが所在なく右往左往し、織物の呈をなしていないのが今日の日本の状況だと認識しています。
小野さんは旧満州に生まれ、敗戦(旧陸軍は終戦といってますが)で足守にあった父上の実家に引き上げてこられたわけですが、その頃の体験が小野さんの作家活動の原点になっており、父上が早逝されされ、経済的な事情で進学を諦め、18歳で京都に行き(ここでも東京ではない)染織家の内弟子になりますが美術作家になる夢断ち難く、イタリアに片道切符で渡航します。(五木寛之の青春の門、青年は荒野を目指す、がブームだった。)当時現代美術の中心というか市場はニューヨークだとされ、野心を持った人が海を渡りました。(残酷なことにほとんどの人は消えました。)
ニューヨークでもなく、パリでもなく、ミラノに行ったところが小野さんの小野さんらしいところで、小野さんの将来を決定づけます。イタリアでは結核を再発したり、色々とトラブルに見舞われますが、奥さんの延子さんを呼び寄せ、里子ちゃんも誕生し、画廊にも友人にも恵まれ、いわゆるハイウエイに乗ったところで、母上の看護のため帰郷します。
その間小野さんの活動を支えたのは奥さんの延子さんであり、小野さんのヨーロッパの友人であったりするのですが、
加えて児島の難波道弘さんの好意で貸していただいたアトリエを、難波さんが亡くなったのを機会に、今の新見の大佐町にアトリエ兼住居をを建てることになります。その施工者が玉木君で後年若山のギャラリーを建てることにもなります。
ヨーロッパの友人にアトリエ兼住居を建ててもらった時に多額のお金が小野さんの口座に振り込まれ、不審に思った東京の外国為替局(いわゆるマルサ)の査察を受けることになり、この件は日本の法律では贈与に当たり、贈与税の対象になりますとの見解に、小野さんの意見は通らず計らずも小野さんが日本株式会社の社員に強制的にさせられた事件でした。経理上作品をヨーロッパの友人に買ってもらった事にしたため、作品の価格が高くなり、縮小経済の今の日本では小野さんの作品は益々手に入れ難い存在になってしまいました。そういった
世俗的な状況に巻き込まれ乍ら、自分の出来ることは作品を作ることしかないという小野さんの思いは変わらず、相変わらず、狂ったように制作するものですから、十分余裕を持って建てた筈のアトリエ兼住居が足の踏み場も無い程に作品で占拠されるようになりました。

さてこの物語は今後どのように展開するのでしょうか?神のみが知るところですが、
小野さんの内幕をここまで晒して良いものかと迷いながら事実は小説より奇なることも確かなので、書いてしまいました。
小野さん流にいえば一本の線がエンドレスに続くということになります。

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