1963 年横浜市生まれ。
1988 年武蔵野美術大学修了。
スパイラル/株式会社ワコールアートセンターに入社、学芸員(のちにキュレーター)。
スパイラルで開催するコンテンポラリーアートの展示に加え、2000 年ごろから外部施設・企業・公共団体のための企画展やパブリックアートの企画・プロデュースも数多く手がける。2005 年の愛・地球博では公式アートプログラム事業のキュレーター、2009 年横浜市の都市ビジョン「文化創造都市―クリエイティブシティ・ヨコハマ」のもと設立された「象の鼻テラス」のアートディレクター。2025 年合同会社岡田勉事務所設立。一般社団法人クリエイティブアート鶴見(CAT)副理事長。
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vol.2「旅する人 ― 小野和則展に寄せて」
1941 年、満州(現・中国東北部)に生まれた小野和則さんは、敗戦による引き揚げを経験したそうです。故に幼少期から自身のアイデンティティとは何かという問いを抱え、そ
の後の人生と創作の軸に「場所と人間の関係」を据えてきたように思います。
流転する環境の中で育った小野さんにとって、「記録する」ことは自己の存在を立証する唯一の方法ではなかったでしょうか。それは後に彼の制作における代表的なキーワードとなる「記録」、「痕跡」、「採集」へと結びつきます。彼の作品には、移動する者に特有のまなざし、他者、ストレンジャー――外部から世界を見つめ、自らをその中に置き直す視点――が通底しています。
1960 年代後半、世界各地で価値観を揺るがす芸術運動が相次ぎました。日本の「もの派」とイタリアの「アルテ・ポーヴェラ」は、その象徴的な潮流です。
「もの派」は、急速な経済成長によって非人間的、合理主義的な価値観が重視される社会の中で、人間と自然、物質の関係を見つめ直しました。アートという根源的な問いに向き合う、コンセプチュアルアートの源流が萌芽した時期でもあります。同時代人である関根伸夫、李禹煥、菅木志雄らは、石、木、紙、水といった素材を“そのまま”に配置し、人の意図を抑え、あたかも表現することを放棄したかのように「ものが在る」ことそのものを提示しました。西洋的な人間中心の創造行為を批判し、加工されていないありのままの「もの」をそのまま提示することで、世界との関係性を問い直しました。それは東洋的な、日本的な「間」や「無」、「見立て」の思想を現代に蘇らせ、人と自然の
調和を目指すグローバルたり得たわが国最初のアートムーブメントでありました。
同時期、イタリアではマリオ・メルツ、ペノーネ、ピストレットらが「アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)」を展開しました。アメリカ中心に勃興したポップアートなどと資本主義や制度化された芸術への抵抗として、鉄、布、木、薪といった素材に内在するエネルギーを取り戻そうとしたのです。
この動きと同調するように、欧米各地でコンセプチュアルアートやインスタレーション、ポップアートといった従来なかった表現方法が発生し、まさに既成概念が解体された時代でもありました。とりわけ、ドイツを中心に活動を行なっていたヨーゼフ・ボイスが提唱した「社会彫刻」という芸術を拡張しようとする運動は、社会全体を対象とした概念とし
てやがて政治にまで影響を及ぼすような広がりを見せていきました。
小野さんはこれらの全く新しい芸術運動のうねりが交差する地点に立ち、これらの時代精神を吸収して独自の表現を育くんできました。素材への繊細なまなざし、時間を記録する思考、活動を記録し収集すること、そして日本的な「移ろい」への感性が融合したのです。
1970 年代、イタリア・ベルガモでの滞在制作を経て、作品は「行為」と「記録」の往復を中心に展開していきました。写真、地図、歩行の軌跡――それらは単なるドキュメント
ではなく、世界と自分を結ぶ「時間の地図」でした。代表作「時間採集」シリーズでは、旅先で拾った小石や木片、影や風の痕跡を記録し箱に収めることで、時間そのものを細断し採取するように作品化していきました。写真やドローイング、メモが複合的に重なり、一瞬の出来事が永遠のリズムとして定着していきます。また、1991 年から約33年間、三菱パジェロで日本全国を旅しながらその痕跡を地図に記す行為も行っています。

その膨大で緻密なドキュメントを拝見した時、私は茫然と言葉を失いました。そこに創造、というより、純粋な行為、一人の人間が生きた証を見たのです。情緒の入り込む
隙など微塵もない、厳然とそこに在る感覚です。近年の鉛筆ドローイングでは、無数の線が重なり合い、紙の上に時間の層が堆積していきます。一本の線は呼吸のように生
まれ、やがて「存在」を描き出します。それは制作を超えた“生の証”であり、人が世界と呼応するための最も純粋な形ともいえます。
また、陶芸家・三島喜美代(1932–2024)さんとの長年の友情も、小野さんの思想を裏づける重要な関係だと考えます。三島さんが日常の断片を陶に焼き付け、社会の記憶を
封じたように、小野さんは自らの行動や時間を記録として刻み込みます。二人に共通するのは、素材への敬意と、人の営みの儚さを見つめるまなざし。記録することは、忘却に抗い、未来に託す希望の形なのです。
小野さんの眼差しは、常に自然と人間の関係に憂いをもって向けられています。里山が損なわれ、市街地では温暖化の影響で葛が枯れず、樹木のみならず都市そのものを飲み込まんとするような光景を目にするようになっています。この光景を目にし、小野さんは「シテが舞い降りたようだ」(能のシテ。この場合のシテは精霊や鬼のことか?)と言います。その言葉には、自然の変化を畏怖とともに憂いをもって見つめるまなざしが感じられます。現代社会と共にある自然はもはや美しくも移ろう日本の自然ではなく、愚かな現代人と現代社会が創造した魔物であると指摘されているのかもしれません。
それは自然界から、そして小野さんからテクノロジーが万能であるという過信を戒め、警鐘を鳴らすメッセージと受け取ることも可能です。
拡張された芸術概念は、コンセプチュアル・アートやインスタレーション、パフォーマンスや各地で展開される地域の芸術祭など、現代の表現活動、文化活動全体に深く影響
を及ぼしてきました。もはや芸術は単なる鑑賞の対象にとどまらず“体験の場”へと開かれ、表現媒体の垣根を超え、誰もが参加体験可能な「場」となったといっても過言で
はありません。観察すること、感じること、記録すること――それは誰にでもできる最も根源的な創造行為です。この考え方は、若者や子どもたちにとって大きな可能性を秘
めています。芸術はもはや鑑賞されるものではなく、世界と自分の関係を見つめ、紡ぐ装置と言い換えることもできます。
いつか足守で、小野さんと子どもたちが共に語り合い、歩き、手を動かす光景を、そんな日を私は夢想します。経験を通じてリアルな世界を手触りと共にもう一度見つめ直す
こと。その瞬間こそが、小野さんの歩みと未来の幸福な結束点なのではないでしょうか。
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