1963 年横浜市生まれ。
1988 年武蔵野美術大学修了。
スパイラル/株式会社ワコールアートセンターに入社、学芸員(のちにキュレーター)。
スパイラルで開催するコンテンポラリーアートの展示に加え、2000 年ごろから外部施設・企業・公共団体のための企画展やパブリックアートの企画・プロデュースも数多く手がける。2005 年の愛・地球博では公式アートプログラム事業のキュレーター、2009 年横浜市の都市ビジョン「文化創造都市―クリエイティブシティ・ヨコハマ」のもと設立された「象の鼻テラス」のアートディレクター。2025 年合同会社岡田勉事務所設立。一般社団法人クリエイティブアート鶴見(CAT)副理事長。
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vol.1「若山さんと私について」
極私的美術館、開館おめでとうございます。
私が若⼭さんの構想を⽿にしてから、約2 年。本当に形になりましたね。⼼からお喜び申し
上げます。
好きなアートと暮らす、というコンセプト。そしてここを拠点に⾜守の⽂化に新しい息吹を
吹き込むという若⼭さんらしい強く熱い決意。
開館と共に、私のミッションの⼀つは、このコラムの連載をせよ、ということで、まずは私
と若⼭さんの関係について、紐解いてからこのコラムのシリーズを始めたいと思います。テ
ーマはどうしようかな?若⼭さんに相談してみます。
まずは私⾃⾝のことから。
美術⼤学でアーティストとして活動を⾏いながら、かつて活躍した⽇本の前衛芸術家たちの
ユニーク極まりない活動の記録や作品の多くが現存しないことなどを知るにつけ我が国の現
代美術や新しい⽂化に対する姿勢や貧弱な状況に憂を抱いていました。このまま表現者でい
るよりもアートを仕掛ける側、キュレーターになり仕組みづくりに携わる⽅が先決ではない
かと考えたのが1985年。慌てて学芸員資格と教職を取得。そして、⼤志を抱いた若者は縁あ
って1988 年にスパイラル/株式会社ワコールアートセンターに⼊社したのでした。スパイラ
ルでは館内で⾏われた数多の展覧会に携わり、2000年頃からは「プロデュース」の看板を掲
げて館外でのアートプロジェクトに邁進、今年の6 ⽉末に任期満了と少しばかりのわがまま
を実現したくてスパイラルを退社しました。
スパイラルとは⼥性の下着のトップブランド株式会社ワコールが情報発信基地として⽂化事
業を⾏うというミッションの下、南⻘⼭に設⽴した複合⽂化施設で、活動のテーマは「⽣活
とアートの融合」という、当時としては画期的な旗印を掲げて颯爽と⽇本のアート界にデヴ
ューした、槇⽂彦さん設計による⼤変美しくユニークなアートセンターです。(アートセンタ
ーとは通常の美術館のようにコレクションをもたず、オルタナティブスペース、既成概念に
とらわれず⾃由で実験的な活動を⾏う空間のこと。)ここにスパイラル初の専⾨職、学芸員と
して⼊社した。
そもそも下着メーカーがアートや最先端の多様なクリエイティブを扱うこと⾃体にやや違和
感を覚えたものの、⼊社後程なくして若⼭さんたち広告業界のトップランナーの⽅々のネッ
トワークがそれを⽀え、推進していることを知り得⼼したのでした。当時、若⼭さんは「⼤
会社」という傑作な会社を経営。広告業界でビッククライアントの広告や流⾏歌の作詞まで
⼿がける業界のトップランナー。そして、⼭城隆⼀さん、吉⽥⾂さん、林⽥芳明さんたちと
最⾼峰のクリエーターのノウハウを結集し総合的な企画制作を⾏う「優秀カムパニー」の創
設メンバーとして、スパイラル草創期の運営⽅針や事業内容などを企画計画し、まさに深く
サポートしていただいていました。故に若⼭さんはスパイラルにとっても、私にとっても⼤
恩⼈なのです。
螺旋を描く美しいスロープの吹き抜けでは、かつて海外のアートマガジンでしか⾒たことも
ないようなアーティストの作品が展⽰され、スパイラルカフェにはいつでもクリエーション
に携わる多くのスターが腰掛け、ホールでは世界的に評価の⾼い⽅々による演劇やダンス公
演、CAYではワールドミュージックのコンサートと世界中からセレブが訪れ、地下駐⾞場に
は、常時スーパーカーがずらっと並び、その中にはもちろん若⼭さんのポルシェ911 も。そ
んな憧れのスパイラルを皆さんのお⼒を得て、あり得ない様相を皆んなで実現したのです。
脱線しますが、当時はアートよりデザインの⽅が余程カッコ良かったのです。クリションに
関⼼のある若者の憧れの職業は、デザイナー、コピーライター、アートディレクター、イラ
ストレーターでした。実際、⽇本の広告は⾮常にクォリティが⾼く素晴らしかった。今では
考えられないほどの予算が投じられ、各企業、様々なクリエーターたちが鎬をけずる時代で
した。そこには多くのスターがいました。東京全体が好景気に浮かれ、テレビCM、広告が
隆盛を極めた時代。
⼀⽅のアートは、特に現代美術と括られるモノはキワモノとして⾒られ、アーティストに⾄
ってはやぼったい変な⼈、として⾒られていました。そんな時代だったのです。やがて、バ
ブル経済は破綻、ご承知の通り社会全体に変⾰が起き、この間⻑く停滞する経済環境の中で
ようやく現代美術の出番がやってくるのです。⽇本全国に建設された公共美術館や⽂化施設
がかつての⼤量動員を⽬的としたお⾦のかかる泰⻄名画展を買ってくる予算がなくなり、コ
スパの⾼い⽇本の現代美術にお鉢が回って来たという実にわかりやすい話。今になって思え
ば我が国のアート業界内においてはアーティストが育ち、海外拠点との交流やアーティスト
インレジデンスを始め新たな⼿法を獲得するなど、新しい⽂化を育む環境整備が⾏われた時
代ともいえます。
コロナ禍が終焉を迎えクリスマスムードが戻ってきた2023 年年末、突然若⼭さんから「今
度、⾜守に美術館を作ることにしたから⼿伝ってくれ」と電話がかかって来ました。あの若
⼭さんからの厳命、もちろん喜んでお⼿伝いします、とお応えしましたが、のちに「お⼿伝
い」はまずかったな、と。⾃分ごととして、と⾔い直したと思います。スパイラル⼊社から
退社を決意したタイミングでのお声がけ。ご縁というにはあまりにタイムリーで、深縁、私
は果報者であります。
この電話から毎⽉⼀回スパイラルカフェで打ち合わせを重ねて来ました。若⼭さんの夢とア
ートをめぐる現実を戦わせながら、約2 年。そろそろだなと思っていたところに分厚い封書
が届きました。開くと、そこには⾃筆の便箋。熱い思い、決意を確かにありがたく受け取り
ました。そして遂に2025年10⽉19⽇開館。
曲線に囲まれた真っ⽩な美しい空間。灌漑⼀塩も束の間、さて、気持ちを⼊れ直して取り組
まなきゃ、と想いを新たにしたのでした。何しろ、拠点運営は、完成が始まりです。⼼⾝と
もに健康で末⻑くカッコよく戦い続けていただきたいと願っております。
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